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前立腺がん患者のテストステロン補充療法〜安全性の最新エビデンス

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前立腺がん患者とテストステロン補充療法の関係性

前立腺がんと診断された男性にとって、テストステロン補充療法(TST)は長年にわたり禁忌とされてきました。「テストステロンが前立腺がんを促進する」という考えが医学界で広く受け入れられていたためです。

しかし、近年の研究で、この長年の常識が覆されつつあります。テストステロンと前立腺がんの関係は、私たちが考えていたよりもはるかに複雑であることが明らかになってきたのです。

私は泌尿器科医として多くの前立腺がん患者さんと向き合ってきましたが、性腺機能低下症を併発している患者さんの悩みは深刻です。エネルギー不足、性欲減退、筋肉量減少、集中力低下といった症状が、がん治療後の生活の質を著しく低下させているのです。

これらの患者さんに対して、「テストステロン補充はできません」と一律に答えるべきなのでしょうか?

テストステロン生理学の基礎と「受容体飽和理論」

テストステロンは男性の体内を循環する主要なアンドロゲン(男性ホルモン)です。その約90%は精巣のライディッヒ細胞で産生され、残りの10%は副腎由来です。血清内では、約2%が遊離型、約38%がアルブミンに結合、約60%が性ホルモン結合グロブリン(SHBG)に結合して循環しています。

前立腺がんとテストステロンの関係を理解するうえで重要なのが「受容体飽和理論」です。この理論によると、前立腺内のアンドロゲン受容体は、血清テストステロン値がある一定のレベル(約60〜90ng/dl)を超えると完全に飽和状態になります。

つまり、テストステロン値がこの閾値を超えても、前立腺内のアンドロゲン受容体はすでに満杯状態なので、それ以上前立腺の成長を刺激することはできないのです。これは前立腺がんの治療において非常に重要な概念です。

実際、前立腺がんの成長は、去勢レベル(約50 ng/dL)付近またはそれ以下のテストステロン値の変動に非常に敏感ですが、それより高いレベルに対しては、どれほど高くても鈍感であることが示されています。

この生理学的概念を踏まえ、多くの研究者が前立腺がん患者へのテストステロン補充療法は安全である可能性があると主張し始めています。

積極的監視下にある前立腺がん患者とテストステロン療法

積極的監視(アクティブサーベイランス)とは、低リスクの前立腺がんに対して、すぐに積極的な治療を行わず、定期的な検査で経過観察する方法です。このような患者さんに対するテストステロン補充療法について、現在のエビデンスを見てみましょう。

現時点では、TSTによる前立腺がん発症リスクを明らかにする前向きランダム化臨床試験、あるいは診断済みだが未治療の前立腺がん男性の治療リスクを評価する前向きランダム化臨床試験は実施されていません。

しかし、Morgentalerらによる症例研究では、生検で前立腺がんと診断された13人の性腺機能低下症の男性(12人がグリーソンスコア6、1人がグリーソンスコア7)に対してTSTを実施しました。平均2.5年の追跡期間中、PSA値および前立腺容積に有意な変化は認められませんでした。

また、Moralesによる7人の性腺機能低下症の前立腺がん男性に関する症例シリーズでは、TSTへの反応はさまざまでした。数人の男性はPSA値が安定していましたが、1人の男性はPSA値が上昇し、根治的前立腺摘除術が必要となりました。

これらの限られたデータからは、積極的監視下にある前立腺がん患者にとってTSTは安全である可能性が示唆されていますが、前向きランダム化試験がないため、注意が必要です。

放射線療法後の前立腺がん患者とテストステロン療法

放射線療法(外照射放射線療法や密封小線源治療)を受けた前立腺がん患者に対するテストステロン補充療法についても、エビデンスは限られています。しかし、いくつかの後ろ向き研究では、興味深い結果が報告されています。

Sarosdyによる2007年の後ろ向きカルテレビューでは、密封小線源療法を用いて治療した前立腺がん男性31人が、その後性腺機能低下症と診断され、TSTを受けました。0.5〜8.5年間(中央値2.0年)のTST後、1.5〜9.0年間の追跡調査においてPSA値の有意な上昇は確認されませんでした。

ほとんどの男性はTST開始後にPSA値が徐々に低下し、研究終了時には31人中30人のPSA値が0.5 ng/ml未満でした。

さらに、Pastuszakらによる2013年の研究では、放射線療法で治療した前立腺がんの男性13名にTSTが行われました。TST開始後、中央値29.7か月経過しても血清PSAに有意な変化は認められませんでした。1人の患者でPSAの上昇が見られましたが、前立腺がんの再発を評価するために再生検、CT、および骨スキャンを行った後、TSTが再開されました。

これらの限られた研究から、放射線療法を受けた前立腺がん患者における性腺機能低下症の治療として、TSTは安全で効果的な選択肢となる可能性が示唆されています。

根治的前立腺摘除術後の患者とテストステロン療法

根治的前立腺摘除術(RP)は、前立腺がんの治療において一般的に用いられる手術法であり、前立腺全体を外科的に切除します。この手術を受けた患者に対するテストステロン補充療法については、比較的多くの研究が行われています。

Agarwalらは、術後に性腺機能低下症と診断され、平均19か月間TSTを受けた10人の男性を調査しました。PSAが検出可能なレベル(0.1 ng/ml超)を示した患者はおらず、血清テストステロンと性腺機能低下症の症状が全員有意に改善しました。

Kheraらは、RP後にTSTで性腺機能低下症の治療を受けた57人の男性を後ろ向きに調査しました。平均13か月の追跡期間を通して、血清テストステロン値は大幅に上昇し、性腺機能低下症の症状は改善しましたが、血清PSA値は全男性で検出限界以下(< 0.1 ng/dl)でした。

最も包括的な研究は、Pastuszakらによる2013年の研究でしょう。彼らは、RPで治療した性腺機能低下症の前立腺がん男性(n=103)をさらに集め、性腺機能低下症ではないコホート(n=49)と比較しました。

興味深いことに、TST開始後18〜24ヶ月で、高リスク群と非高リスク群の両方においてPSA値が統計的に有意に上昇したことが観察されました。しかし、これが臨床的に意味のある上昇かどうかは不明です。

したがって、TSTは前立腺がんの再発を増加させないように見えるものの、PSA値の上昇は懸念すべきものであり、TSTを受ける前立腺がん患者には厳格なサーベイランスプロトコルを実施することの重要性を示しています。

テストステロン補充療法の実際:適応と注意点

前立腺がん患者に対するテストステロン補充療法を検討する際には、適切な患者選択と綿密なモニタリングが不可欠です。以下に、臨床現場での実際の適応と注意点をまとめます。

適応となる患者像

テストステロン補充療法の適応となるのは、以下の条件を満たす患者さんです:

  • 血清テストステロン値が低く(通常300 ng/dl未満)、性腺機能低下症の症状がある
  • 前立腺がんが適切に治療されている、または低リスクで積極的監視下にある
  • PSA値が安定している
  • 他の医学的禁忌(赤血球増多症、睡眠時無呼吸など)がない

モニタリング方法

テストステロン補充療法を開始した後は、綿密なモニタリングが必要です。具体的には:

  • 3ヶ月ごとの直腸指診とPSA測定
  • 血清テストステロン値の定期的な測定
  • 赤血球増多症のモニタリング(ヘマトクリット値の測定)
  • 症状の改善度評価

使用すべき製剤

前立腺がんの男性には、長期間持続するデポ製剤や皮下埋め込み型ペレット製剤を避け、テストステロンゲルまたは注射剤の使用を推奨します。これは、PSA値が上昇した場合、より適切な用量管理と容易な中止が不可欠であるためです。

禁忌となる患者

以下の患者さんには、テストステロン補充療法を行うべきではありません:

  • 現在アンドロゲン除去療法(ADT)を受けている患者
  • 未治療の高リスク前立腺がん患者
  • 赤血球増多症(ヘマトクリット値>54%)の患者
  • 重度の睡眠時無呼吸症候群の患者
  • コントロール不良の心不全の患者

最新エビデンスに基づく治療選択のポイント

前立腺がん患者に対するテストステロン補充療法の安全性に関する最新のエビデンスを踏まえ、治療選択のポイントをまとめます。

患者ごとのリスク評価

テストステロン補充療法を検討する際には、患者さん個々のリスク評価が重要です。前立腺がんのグレード(グリーソンスコア)、病期、治療法、治療後の経過時間、PSA値の推移などを総合的に評価します。

特に、高リスク疾患(グリーソンスコア>8、RP後の断端陽性またはリンパ節転移陽性)と判断された患者さんには、より慎重な対応が必要です。

インフォームドコンセント

テストステロン補充療法を開始する前に、患者さんに十分な情報提供を行い、インフォームドコンセントを得ることが不可欠です。特に、大規模ランダム化前向き試験が不足していることを考慮すると、治療のメリットとリスクについて詳細に説明する必要があります。

段階的アプローチ

テストステロン補充療法は、段階的に進めることが望ましいです。まず低用量から開始し、症状の改善と副作用のバランスを見ながら、徐々に調整していきます。

また、PSA値が上昇した場合には、すぐに治療を中止できるよう、短時間作用型の製剤を選択することが重要です。

長期フォローアップ

テストステロン補充療法を受ける前立腺がん患者さんは、長期的なフォローアップが必要です。特にPastuszakらの研究で示されたように、TST開始後18〜24ヶ月でPSA値が上昇する可能性があるため、少なくとも2年間は綿密なモニタリングを続けることが推奨されます。

参考文献:前立腺がん男性におけるテストステロン補充療法の現状

まとめ:パラダイムシフトの中での臨床判断

前立腺がん患者に対するテストステロン補充療法に関する考え方は、大きなパラダイムシフトの途上にあります。長年「禁忌」とされてきた治療法が、適切な患者選択と綿密なモニタリングのもとで「検討可能な選択肢」へと変わりつつあるのです。

現在のエビデンスからは、以下のことが言えるでしょう:

  • テストステロンと前立腺がんの関係は、「受容体飽和理論」によって説明できる可能性が高い
  • 積極的監視下にある低リスク前立腺がん患者では、TSTは安全である可能性が示唆されている
  • 放射線療法後の患者においても、TSTは安全かつ有効である可能性がある
  • 根治的前立腺摘除術後の患者、特に低リスク疾患患者では、TSTが血清テストステロン値を効果的に上昇させ、性腺機能低下症の症状を改善しながら、癌再発率を上昇させない傾向がある
  • 高リスク疾患患者では、TST後18〜24ヶ月でPSA値が統計的に有意に上昇することが報告されており、注意が必要

私たち医療者は、これらのエビデンスを踏まえつつ、患者さん一人ひとりの状況に合わせた最適な治療選択を提案していく必要があります。性腺機能低下症の症状に悩む前立腺がん患者さんにとって、テストステロン補充療法は生活の質を大きく改善する可能性を秘めています。

適切な患者選択と綿密なモニタリングが実施される限り、前立腺がん患者におけるテストステロン補充療法は治療選択肢の一つとして検討できるでしょう。ただし、現在アンドロゲン除去療法(ADT)を受けている患者や他の医学的禁忌がある患者には使用すべきではありません。

今後、大規模ランダム化前向き試験の結果が出てくることで、より確かなエビデンスに基づいた治療指針が確立されることを期待しています。

〈著者情報〉

泌尿器日帰り手術クリニック
uMIST東京代官山 -aging care plus-
院長 斎藤 恵介 

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